旅のつばくろ
こちら本、あまりに良くて、気に入った箇所の抜粋とわたくしのたかぶる気持ちを以下軽く纏めました。斜体が抜粋のはずですが、我が気持ちと混在してます事あしからず。
>舞台になった土地でその本を読むと不思議なほど理解が深くなるということがある。
>朝日か夕日か。夕日には遠い過去の悲しみを思い起こさせる魔的な力がある。
確かに夕日を見ると昔の思い出に胸が締め付けられることがある。17時に流れる帰りましょうメロディに合わせて友人とバイバイする時の物悲しさというか。
でも朝の清さに勝るものなし、朝日に軍配。
>人生のうちで面(住んでいる街や学校の点と点を結ぶと線になり、その無数の線が交錯して面ができる)として知ってる土地をいくつくらい待っているか、それは人生の豊かさに直結しているような気がする。
>面として知る土地の感覚、その場所に行くと不思議な懐かしさを覚え心が落ち着くような気がする。
この点と線と面の表現に唸ってしまった。
>旅に出ると予期しないことに出くわし、楽しい思いをしたり、逆にがっかりするような目にあったりする。旅の長者になるためには、面白がる精神が必要なのだ。
>世の中にはきっと悪い人もいる、でもそれよりももっと多くの良い人がいるはずだと思っている。
沢木耕太郎は性善説の信奉者、と書いてあったけど私もわりにそうだ。でも気付かぬうちに結構裏切られたりしているのかも。というより私は人をさほど信用せず、勿論周りも私をさほど信じていないだろうと思ってる。だから他者への期待度は低い分そうなのかもしれない。
>生きていくというのは後悔を無数にしながら歩むことなのだろう。後悔なしに人生を送ることなどできない。たぶん後悔も人生なのだ。
そう。でも可能であれば先人たちの教えを生かして後悔を減らしたいと考える。あんな事をいってしまった・・・・・反省・・次回に生かすのだ・・と日記で内省するけど、後悔は減らせているだろうか・・・。
旅好きにありがちな独りよがりではない、彼の人との関わり方に心惹かれた。
そして流れるように、何か出来事があってそこから派生してこんな人や場所と繋がって…と連鎖していき、それが生き方となっていく。
旅先で、ああ気持ちいいいい!あたし最高の瞬間を味わえてるうう!と全身で興奮する時がある。これを感じられる瞬間を旅先問わず日々探しているのだけど30代も中盤になると悲しいがな中々やってこないんですよね。狙って湧き立つものでもないし。
ここ最近、表面的なお洒落さに傾倒していたやに感じていて、縁があってそこを訪れたのだからその場所を深く知る事を次回以降試みます。
この本を読みながら行きたい場所がたくさん出てきました。
自分の名前のルーツでもある青森県にある、三内丸山遺跡、津軽線の終着駅である三厩、十和田と青森それぞれの現代美術館、奥入瀬。
輪島の白米(棚田)、軽井沢の万平ホテル、小梅線(小淵沢から小諸まで)。
こんなふうに行きたい行きたいという場所をもてる事、それを可能にする体がある事を幸せに思って。 (ヨガの先生が最後の合掌時に言う言葉のよう)