茶の湯

先日「茶の湯のかたちに見る、日本の美と心」という講演会に行った。和とか茶とかそういうものに一切造詣が深くないので2時間寝てしまうのではとヒヤヒヤしながら行ったんですが、結論猛烈に良かった。
まず茶の湯とはなにか。茶の湯とは茶会のことで、茶会の最後に飲むお茶を美味しく頂くために事がなされる。まず白湯を飲み本日の水を確かめる。狭い空間に親しい人と膝をつきあわせその場の一体感を大事にし、料理を楽しみ、器などの良い美術品を見る。お料理は簡素だけど季節の旬を一汁三菜で頂く。食事が終わると茶菓子を食べ、そこで舌の感覚を元に戻す。ここまで二時間。そして庭に出て外の風にあたり休憩する。リフレッシュする。その間亭主が茶の間の景色を整える。開始の銅鑼がなり、お抹茶を頂く時間がここから始まる。前半の空気と一変し、皆の集中が一斉に亭主の茶のお手前に集まり、茶に意識を高め、場に緊張感が生まれる。緩和から緊張へ。茶が練り上がり皆で頂いた後、感想を言い合うことでまた場が緩和する。一体感から個の世界に入りまた再び一体感へ。茶の湯では一回限りの気持ちで全身全霊で亭主はもてなす。これが一期一会の語源となる。
などなど学びながら、一気にこの新たな世界の扉を開けたようでなんとも興奮しまったのでした。講師は千宗屋さん。f:id:micchy76:20181216091349j:image千さんはインスタに頻繁に茶や茶菓子の写真を上げているようで最近本を上梓されたとのこと。

茶のある暮らし  千宗屋のインスタ歳時記 (講談社の実用BOOK)

茶のある暮らし 千宗屋のインスタ歳時記 (講談社の実用BOOK)

 

そして最新のカーサブルータスの特集にも。

今まで全く頭に入ってこなかった世界観が急に見えてくるこの感覚って面白い。

個人的に1番気に入ったのは、緊張と緩和を交互に味わうこと。日々の生活の取り入れ方も説明していたので早速実践したいと思う。拝。

私とは何か

15日とあと少しで2018年も終わる、となるとそろそろ総括し始めないとなと思う次第ですが、今年読み1番良かった本は後輩が貸してくれたこちら。(昨年は君たちはどう生きるかがよかった)

私とは何か――「個人」から「分人」へ (講談社現代新書)

私とは何か――「個人」から「分人」へ (講談社現代新書)

 

平野啓一郎といえば、小説「マチネの終わりに」を読んだことがあったくらいで、美しいけど小難しい小説を書く人だな、という認識だった。さてこの本の概要を纏めると以下の通り。

これまで「個人」とは最小単位として分けられないものとされているが(肉体は一つだし確かに物理的に分けられない)、私たちの人格は分けられるのではないか、それを分人という単位を用いて私とは何かを考えて見よう、と少し哲学的な本。

人間は、対人関係ごとに見せる複数の顔があり、相手によって言い方も変わるしキャラも変わる。でもこれは相手に合わせ演じ分けているんだろうか、「本当の自分」はその中の一つにいるんだろうか。いや、私たち人間は相手次第で自然と様々な自分になり、その他者との関係から生まれる分人の全てが「本当の自分」と捉えることが出来るのではないか。つまり私たちは「分人の集合体」として存在していると言え、誰と付き合うかで、分人の構成比率は変化し、その総体が自分の個性となる。

私たちは複数の分人を生きているからこそ精神のバランスを保てている。人間はたった一度しかない人生で出来ればいろんな自分を生きたいと思うため、だから小説や漫画の主人公に感情移入し、それは「変身願望」の表れと言えるだろう。

愛は関係の継続性が重要とされる概念だが、愛を持続させるにはよく恋の状態を延命させ新鮮さを保ち続けるために自分を磨く等双方の献身が釣り合っている状態を理想とする、といわれる。ただ何年も関係性を継続する上でその状態を維持し続けるのは辛いのではないか。だから「愛」とは「その相手といる時の自分が好き」、「その相手といる時間が居心地がいい」と自分目線で考え、そんな心地いい自分を引き出してくれる相手を愛おしく思えること、それが人を愛することだと定義できるのではないか。 

本の中では平野さん自身の実例を挙げながら説明していて非常に分かりやすく、上記の考え方にはいずれも共感できる。例えば、私のある一面をとって他人から私の本質を規定するような発言を受けるとすごく不愉快になる。その一面は間違いなく私を表すものだけど当然それだけじゃない。平野さん自身も「私たちは他人から自分のある一面をとって矮小化されることがすごく不安になる」と書いている。

本当の私はなんだろうとは誰しもが考えることだけど、全ての分人が私なんだと思う概念は人を楽にさせるし、余計な悩みが1つ消える。そしてその概念を取り入れると他者に対しても穏やかな目で見ることができる、というのは私達が知りうる他者の一面は私に対する分人だけ、と捉えることが出来るからだ。そして私の一つの分人がうまく機能してなくても他の分人もあるから決して自分を全否定しなくていいという気でもいられる。

この本を読み、ああ本当その通りだ・・と何度も声を出てしまうほどだった。でも私が小説家だったら平野さんみたいなこんな考え抜く小説家がいると絶対彼よりもいい文章書けないなと思っちゃうかも。

最近この軽めな本も読んだ。

友だち幻想 (ちくまプリマー新書)

友だち幻想 (ちくまプリマー新書)

 

人間の幸福には2つあって、1つ目は自己充実、自己実現と呼ばれるもの。2つ目は他者との交流。さらにそこから2つに分けられ、交流そのものの喜び(例えば相手と共有している時間そのものが幸せの状態)と、他者からの承認(人から認められる歓び)がある。

そもそも他者とは自分とは異なる性質を持つ異質性がある存在であることを理解し、脅威の源泉にも歓びを与えてくれる存在でもある。脅威にも歓びにもなる点に、我々は振り回されるのである。私たちは他者に同質的共同性を求めがちであるが他者は上記のような属性を持つものであり並存性の意識を持たなければならない。

友だち幻想という名の通り、みんな仲良しこよしなんてありえないんだよ、みんな違うんだから、でもそれを知った上で共存していこうよ、とそんな本です。中高生の閉鎖的な空間の中では異質的な人はどうしても排除されるんだろうな、というのは実体験からも分かる。

原田マハ

今年読んで良かった小説家。四年ほど前にこの作品は読み、

本日は、お日柄もよく (徳間文庫)

本日は、お日柄もよく (徳間文庫)

 

偉そうにブクログではこう感想を書いていた。

よく練られた読み応えある本だった。
スピーチライターの話で、筆者自身に言葉遣いに自信がないと書けない本だったと思う。良い言葉満載だった。ただ物語の内容は若干夢物語が強すぎるなとも。

個人的にあまりピンと来なかったのか、これ以来原田マハと遠ざかるのですが、今夏にこのモネの表紙に惹かれて買う。直島の地中美術館にある睡蓮を見てからモネに傾倒しています、ちなみに。

ジヴェルニーの食卓 (集英社文庫)

ジヴェルニーの食卓 (集英社文庫)

 

さてこれは、マティスドガセザンヌ、モネが主となる短編四篇で、フィクションでありつつ史実が織り交ぜられていて、これぞアートの小説。小説に出てくる絵を携帯で確認しつつ読み進める感覚があまりに良くって、続けて以下3冊。

モダン (文春文庫 は 40-3)

モダン (文春文庫 は 40-3)

 
楽園のカンヴァス (新潮文庫)

楽園のカンヴァス (新潮文庫)

 
暗幕のゲルニカ (新潮文庫)

暗幕のゲルニカ (新潮文庫)

 

いずれもニューヨークのMOMAが舞台。上1つは短編、下2つは長編。どれも良かったけどアンリルソーを題材とした楽園のカンヴァスが好みだった。ちなみに印象派はね、などと語る知識がありませんが、向こう10年で人と楽しくアートな会話できるくらいの知識を持とうという目標はあります。

では後輩に読めと昨日託された2冊を今からスタバで読もうと思います。積読が順調にますます積み上がる。f:id:micchy76:20181201095701j:image

チェーンのカフェといえば

スタバ、エクセルシオールドトールタリーズセガフレサンマルクコメダと挙げればキリがないのですが、最近は専らドトール。というのも帰り道の最寄り駅構内に併設されているので便利だし、駅構内にあるため混みすぎて入れないことはないし、安いし、の3点。コーヒー1杯220円なので、予定の前後に少しくらいの時間があればそりゃ腰を落ち着かせたくなるでしょう。こんな事を書いている今もドトールにおりますが、隣の席の人がうちの会社の人だ。休みの日までお仕事お疲れ様です。

ではここ最近の食事。レタスの千切りに胡麻ミョウガと酢と醤油で和えたサラダ初登場。料理家のツレヅレハナコさんが、私レタスを大きくちぎったサラダあまり好きじゃないんですけど千切りにしたら食べられます、と言っていて、私もレタスがあまり好きじゃない理由はそれだと判明し真似しました。f:id:micchy76:20181116143201j:image立ち読みした雑誌に載ってた味噌そぼろ薬味まぜ麺。味噌そぼろ、あまり好みでないかも。f:id:micchy76:20181116143153j:image
余り野菜のアーリオオーリオ。f:id:micchy76:20181116143146j:image牛肉炒め1人ご飯。冷奴じゃなくて温豆腐の季節。f:id:micchy76:20181116172028j:imageチキンの赤ワイン煮と秋鮭と舞茸のオイスター照り焼きと無限ピーマンとやら。
f:id:micchy76:20181116172025j:imageナンプラーで味付けした豚しゃぶ春雨サラダとキムチ豆腐スープ。
f:id:micchy76:20181116172022j:imageお弁当も週1,2くらい。よく見ると上記の余り物詰め。そして最近サーモスのスープジャー買いました。f:id:micchy76:20181116172447j:image初めての豚×白菜のミルフィーユ鍋。味噌とキムチの素とごま油などを加えて煮るという、素晴らしく簡単。f:id:micchy76:20181124170903j:imagef:id:micchy76:20181124170858j:image結果こうなる。クタクタ。あと初めての春巻。f:id:micchy76:20181124170752j:image野菜が余った時の中華丼。ニラ玉スープ。
f:id:micchy76:20181124170757j:imageビジュアルがいいトマトパスタ。けど味はもうちょっと頑張れそう。f:id:micchy76:20181124170801j:imageああ、冬の寒さこれくらいで留めてくれないだろうか。今日の一曲。

P.Y.T. (Pretty Young Thing)

P.Y.T. (Pretty Young Thing)

 

今が一番

この前、人生で1番幸せだったことは?と聞かれ数秒考えて出た私の答えは、大学合格の時だった。合格の文字をパソコンで確認した時、これまで18年のそれなりに頑張った努力が報われたって感覚がなかなか忘れられない。自分が望んだことを他者に認められた初めての経験、という気持ちもあるのかもしれない。もちろん大学に入る事がゴールではないんだけど、その時はそれがゴールだったんだと思う。

一方同じ問いに対し、周りでは比較的最近の事を話していてハッとした。例えば最近受けた試験に合格したとか、子供の運動会を見てとか、13年前の話をするなんて私くらいで、それはつまりその日以降1番幸せな日が来ていないってことなのかしらんと結構真剣に考えてしまった。自分なりの結論はそんな事もないだろうけど、ちゃんと幸せだと思える未来の布石を毎日作ろうと思った次第です。

今日何気なく先輩に、1番幸せな時っていつでした〜?と聞いたら、間髪入れずに今かな〜と答えていてそれはそれは無条件でカッコよかった。

さて今年もあと1ヶ月半。積み残しの処理をしたいと思います。積読本をまず処理しよか。

京都にいる

11月になると大変混むし、自ら進んで見に行くほど紅葉にはあまり興味もないし、有休を余らせるくらいならと思い、今回も1人やってきた。

モーニングを京都で食べたいと思い5時起きしてみたけどその弊害が本日の後半戦に及ぼし、17時半から19時半までホテルで寝て、19時半から21時まで関西ローカル番組見て、21時から22時半まで大垣書店、22時半からスターバックス、という東京と変わらない時間を結局過ごしている。

いつもと違うといえば、いつもの定番のお昼をはじめての町中華にしてみた。けど結構後悔した。ああああ有休を取る平日しか行けないのにな。残念。あああ。

さて今いるスタバは深夜12時まで営業。人も盛り沢山。夜遅いカフェというと韓国を思い出す。韓国は平気で深夜1時2時まで営業していて、しかも若者たちもわんさか。韓国のパワーを感じたな。もう四年くらい前の話だけど。f:id:micchy76:20181026230051j:image

最近よく聞くnever young beachはっぴいえんどの現代版のよう、と評するのは褒めすぎかな。

お別れの歌

お別れの歌

 

ここは退屈迎えに来て

f:id:micchy76:20181022090134j:image原作山内マリコの小説のファンという事で舞台挨拶付きの映画を週末見に行った。

ここは退屈迎えに来て (幻冬舎文庫)

ここは退屈迎えに来て (幻冬舎文庫)

 

思春期特有の毎日がかったるくて全てがダサく見えて将来に不安を覚えながら何をすればいいか分からなくてイライラして小さな世界のヒーローを崇める自分が嫌なのにそこから抜け出せそうもなくて…冷静に描かれたこの青春小説に心を持って行かれた。まさに私の中学時代を表しているようだったから。以来山内マリコの小説は大体読んでいる。他の小説も面白いけどやはりこのデビュー作が1番だと思う。

映画を批判するつもりはない。けど求めていた懐かしい切ない感情が湧き上がってくることは残念ながらなかった。だけど良かったのはフジファブリック。主題歌のイントロなんてまさにこの小説の世界観を表している。これでもかというくらい合う。

Water Lily Flower

Water Lily Flower

この映画の中で皆が各々歌うこの曲も良い。門脇麦が叫ぶようにこの曲を歌うシーンが個人的にハイライト。
茜色の夕日

茜色の夕日

フジファブリックはこのモテキの主題歌と、
夜明けのBEAT

夜明けのBEAT

なにかと夏に流れるこの曲くらいしか知らなかった。
若者のすべて

若者のすべて

好きなバンドになりました。

30代になっても未だにどうしようもなく嫌になる時があってそれは周りに対してというよりその事態もひっくるめての自己に対してであり自己に期待する分そこから逸脱した時に自分の中で振り切れる。今日は久しぶりに逸脱に振り切れて私の中から謙遜という言葉が消えてしまった。情けなくて家に帰って劇中の門脇麦のように大声で歌った。自分への慰めと反省は済んだ。

さよなら今日。