秋になると
ラッドウィンプスが聞きたくなる。でもそれはただ単にこの曲のせい。
『夏』ってだけでキラキラしてた あの気持ちが好きなの「もう少しだけここにいさせて」そんな顔で僕見るの
本物よりもリアルに見えた あの魔法はもう解けた
けどギュっとすればキュンとなるあれは 夏のおかげなんかじゃない
夏の良さをうまく伝えている。一昨年の夏、Mステで流れた前前前世を見て、心奪われ、その時初めてラッドウィンプスを知った。ああいう感覚は願ってもなかなかやってこない。現にあれ以来ない。当時新海誠×野田洋次郎の対談本を結構読み漁って、その中でも、ミュージシャンである彼に映画監督の新海さんが何度も曲のやり直しを依頼し、その度に野田氏がコンチクショーとなりながらも監督からオッケーが出てもなお良いものを作ると、数十回意見を往復しながら一年半かけて君の名はの音楽を作った、という話がとても好き。確かに君の名はのアルバム全曲素晴らしいし、前前前世は心が震える。
さて今週は冷蔵庫の食材くんたちに活躍の場を与えられなかった。レタスなんて丸々一個ある。週末にいそいそ料理。金曜の夜はピーマンの肉詰め中華味。昨晩は先週に引き続き豚汁と牛肉玉ねぎ炒め定食。
そして今週はこれを読んだ。
読んでおくべき一冊だろうと思い、買った。風変わりだった。謎は序盤から書かれていたけど概要が掴みきれず最後までソワソワした。翻訳特有の分かりづらさも含め味わい深いというか、書かれている行動や言葉の1つ1つに意味があるんだろうなと思うと再読したくなったけど、カッコつけて後輩にあげたんだった。てへ。
大人になったと
思う瞬間は33歳にもなるとそりゃ何度か訪れますが、フルーツをデザートとしてではなく塩気のものと融合させた料理を美味しいと思えた時が1つ。
小学2年の時、お友達の家のカレーライスを食べた時に、あ…甘い…なんだこれ…バ…バナナが入ってる…と心底引いたことがある。誰の家で食べたかも、横の母に食べられないと訴えた情景も、覚えている(全く失礼な話)。カレーといえば万国共通いつもの美味しいやつ、と一択の味しか知らない小2の私にカレーとフルーツの融合はまだ早かった。
それ以来フルーツが乗ったおかずが苦手で、祖父母宅のリンゴが入っているサラダは手をつけられなかったし、お弁当の中に臭いが移るからフルーツは絶対入れないでよね!と母にNGを出していた。
社会人になってもその感覚は持ち続けるものの、創作イタリアンとか創作フレンチなんて場所に繰り出すようになり、出てくる出てくるフルーツ料理。イチゴの冷製パスタ。うーん。オレンジサラダ。うーん。いちじくゴルゴンゾーラ。うーん。でも食べ進めると悪くないかも…と思えてきたのがここ最近。前置きが長くなりましたが一昨日昨日食べたフルーツ料理が美味しかったという話でした。
門前仲町のブカマッシモの白桃と生ハム。
明治神宮前のKiki harajuku の白桃と蛤のロワイヤル(卵豆腐)と
さつまいものパイ包み焼き イチジクとブドウのサラダ仕立て。
全てペロリと頂きました。
アマゾンプライムで
最近見た映像を備忘まで。是枝裕和の世界観が好みだ。心がほじくられる感覚になる。それを好みと評していいのか分からないけど。別に映画の中で何かが起きるわけじゃない。でもそれこそが私たちの日常。淡々とした日常の中で喜んだり怒ったりしている。だからこの浮世離れしていない世界観に自分が映し出されているようで心が痛くなる。なんてたってこの映画のテーマは、こんなはずじゃなかったと今を生きる家族を映したストーリー。 胸が痛いわけだぜ。ハナレグミの主題歌もいい。
絶対泣く泣く泣くと思って見て、やはり泣いた。宮沢りえと子の関係が、去年亡くなった祖母と母の関係を彷彿とさせた。小林麻央もそうだけど若くして亡くなるのは、運命という言葉では片付けたくない、けどじゃあなんなんだろう。あまり考えたくない。
全4話のドラマ。かもめ食堂、プールなどの類。印象に残った部分は住職演じる加瀬亮がお寺の庭を見ながら言ったこの言葉。
手入れが行き届いた完璧な庭じゃなくて楽な庭を作りたいんです
ジェニファーローレンスのこの笑顔とアカデミー賞8部門ノミネートに惹かれて旦那と家で見た。全部見たけど結構飽きてしまった。ジェニファーローレンスは可愛い。
さて、次は何見ようかな〜。